お墓の知識3

お墓の歴史と型

 

 

 江戸時代の中ごろまでほ石製の立派なお墓は身分の高い権力者だけが建てることかでき、下級武士、商人、庶民などは建てられませんでした。


 江戸後期になり商人がカを持つようになると、経済カに任せ商人も立派なお墓を建てるようになり、下級武士も石製のお墓を建てるようになりました。庶民がお墓を建てるようになったのは明治後半になってからです。


 お墓はもともと個人が建てる「個人墓」であり、古代エジプトのビラミッドや日本の御陵がその典型でしたが、江戸後期頃から家系単位になりました。お墓には一番右側に
家系の50年以上の全ての狙先を祀る、供養塔とも呼ばれる「五輪塔」を建て、その左側にそれ以降の代々の夫婦のお墓(位牌型三段石)を順に並べて建て、代々墓と呼ばれました。


 これが昭和中期になると家系単位から家族単位に更に小さく分かれるようになり、「○○家の墓」というように今のお墓め原型ができました。


 土地事情により次第に墓地の面積が狭くなり、また家族単位での移動が多くなった現代はお墓の分家が進み、親や兄弟から独立して自分の生活の地に一家庭毎に五輪塔と位牌型三段石の二基を建てる人が多くなりました。

近年では五輪塔を省略して位牌型三段墓石だけのお墓が多くなり、更に夫婦や個人の久遠墓などが増え、昔のように個人墓の傾向が強くなってきています。

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